ふたつの日本/望月優大

 

 

 

 

 日本の移民政策に関する本です。

 

 この本が出版されたのが2019年ということで、元々どちらかというと移民政策には消極的だった日本政府が空前の人手不足を受けて、かなりの条件緩和に取組みつつある状況を紹介されています。

 

 冒頭で驚くべき統計を提示されているのですが、在日韓国人朝鮮人の割合が1980年代まで在日外国人の8割を占めていたにもかかわらず、その後、技能実習生制度などにより急激に流入が進んだ結果、この本の出版の2019年時点でわずか2割となってしまっていたということです。

 

 ただ、その制度設計自体の問題で、かなり締め付けがキツかったことにより、逃亡や搾取などの問題が取りざたされてきたことが思い起こされますが、人手不足が顕著になっていくに従い、その改善が急務と認識されるようになったようです。

 

 ただ、コロナ禍を経て超円安で日本経済が大転落して出版の時期と比べると、わずか3年であまりにも状況が変わってしまっており、多少経済が動き始めて、再び多少人手不足感は復活しつつあるのですが、あまりの円安でそんな国に出稼ぎに来てくれるような奇特な人がいるんだろうか…というギモンがあって、少子化に歯止めがかからない中、積極的な移民政策を推進する必要性がかつてなく高まっていると思うのですが、日本人の感覚や政策がそういう現実に追いついていくのでしょうか…

 

「戦後」を点検する/保阪正康+半藤一利

 

 

 名コンビが「戦後」を語ります。

 

 元々、『「昭和」を点検する (講談社現代新書)』という本があるそうなのですが、その本は戦争までで紙幅が尽きてしまい、改めてこの本が企画されたということのようです。

 

 お二方とも昭和史の研究者として名高いのですが、どうしてもその関心というのは戦前、戦中、戦直後に集中しており、サンフランシスコ講和会議以降には強い関心は抱きにくい所があるようで、半藤さんの名作『昭和史』も本編のと比べると『昭和史 戦後編』はGHQの占領下についての描写はスリリングですが、その後についてはあんまり印象に残っていなくて、この本も割とグダグダな感じですが、時折とびっきりのトリビアネタを仕込んでいるので油断できません。

 

 特に印象的だったのが、まだお二方の緊張感が行き届く終戦直前のことですが、ポツダム宣言の受諾についての議論があった中で、昭和天皇は「国体護持」についてかなりの核心があったということで、御前会議を押し切ったようなところがあったようですが、その確信を持つようになった元についてまでは言及されていません。

 

 そもそも「戦後」というのはどこまでかというところから始まっていて、今なお「戦後」なワケですが、感覚的には昭和50年くらいまでだろう、ということで占領の終了、安保、などを語られて、「戦後」終結の象徴的な出来事としての横井庄一さんや小野田寛郎さんの復員で占められます。

 

 グダグダはしていますが、割と裏話的なネタも多くて読み物としては面白かったので、まあ損することはありません。(笑)

日米開戦と情報戦/森山優

 

 

 昨日に引き続き太平洋戦争に纏わる本です。

 

 真珠湾攻撃の際には、日本軍の暗号電文がアメリカ側に解読されて既にバレてて丸裸だったと言われますが、特に太平洋戦争開戦前の日米英など戦争当事国間のインテリジェンス活動が主要なテーマとなっています。

 

 ただ、必ずしもアメリカ側が情報戦で圧倒的に優位に立っていたワケでもなさそうで、日本側が意図して流したワケは無いようなので、かなりのクズ情報を重要視して空振りしたということもあったよう言うことなのですが、むしろその主要な原因は日本側の迷走ぶりにあったようです。

 

 よく言われるように陸軍の「北進」、海軍の「南進」といった主導権争いの上に、昨日の『真珠湾の代償』では老練な外交手腕がクローズアップされていた松岡洋右がここでは陸軍と海軍の対立に乗じて事態を混乱させるトラブルメイカー的な描き方をされており、定説通り対米開戦の主要な要因の一つとなったという描き方をされています。

 

 それに対してアメリカ側が、その戦略の適否はともかく指揮系統としてはローズベルト大統領が最終的な決定権を握っており、ポピュリズム的な政策に傾いたり、各種ロビー活動の影響を受けたりと、大統領を動かすための様々な策謀が蠢きます。

 

 そういう紐解きをしながら、なぜ攻撃が分かっていてそれを避けるようなアメリカ側の動きが無かったのか、日本側としてもなぜ決定的な打撃を与えるまでの攻撃をしなかったのかと未だ謎の多いモノではあります。

 

 いずれにせよ、圧倒的に物量が劣りながら、対中戦争をしつつ、対米英蘭と風呂敷を広げるのは未だに考えられないところであり、ガバナンスという考え方の欠如は今なお日本が抱える問題なのは、こういう破滅に進む道を再び辿らないかと不安になるところではあります。

真珠湾の代償/福井雄三

 

真珠湾の代償

真珠湾の代償

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 戦前、戦中の松岡洋右重光葵東郷茂徳という歴代の外相に右腕として重用され、太平洋戦争の回避、および終戦に奔走し、ミズーリの船上でポツダム宣言の受諾に立ち会った外交官である加瀬俊一の評伝です。

 

 この本は企業勤務から国際政治学、日本近現代史の研究家に転身された方が書かれたモノで、かなり外交について深く研究されているということもあって、割と見過ごされがちな戦前の日本外交についてフォーカスを当てるという主旨になっているようです。

 

 特に、対米開戦についての責任を問われることの多い松岡洋右について、その誤解について言及されていて、対ソ外交でスターリンを向こうに回して老練な外交手腕を発揮し、日ソ中立条約を締結し、ソ連とドイツの対立を回避し、かつアメリカを牽制して対米戦争を回避しようとしたという指摘をされています。

 

 それに対して、割と歴史上では好意的に受け入れられていると思われる幣原喜重郎の外交手腕について、かなり辛辣な描写をされているのも印象的です。

 

 また、対米戦争中も昭和天皇の意向を受けて絶えず講和に向けた糸口をつかもうとする努力は継続されていたようで、ただそれが沖縄戦の惨禍や原爆投下につながったという側面はあるようですが、脈々と講和に向けた努力が続けられていたことが、現在の日本の状況につながっているという側面もあるようです。

 

 この本のハイライトのひとつとも言えるのがミズーリの艦上における降伏文書の調印に赴くシーンなのですが、使節団を襲撃して降伏を阻止しようとする動きもある緊張感の中、調印後のマッカーサーのコメントにアメリカの懐の広さに日本外交団が感銘を受けるところが印象的です。

 

 博識で文才もあり、胆力も備えていて、戦争が無ければ間違いなく外相となっていたと言われる俊才だであり、歴代の外相にも重用されたということで、対米戦争から敗戦に至る外交的な過程を眺めるのに、もっともふさわしい人物の評伝と言えるのですが、加瀬俊一が起案した文書が天皇を動かして一気に講和へと動いたキッカケとなって事以外、補佐役としての有能さしか感じられないような描き方になっているのが少々残念なところではあります。

 

 どこの国でもそういう側面はあるのかも知れませんが、割と日本人はポピュリズムというか、表面上の動きに単純に反応してしまう傾向が強いような気がして、そういうところにウマく乗っかった軍部の暴走が破滅につながったという側面があり、こういう長期的な視点の下での影の努力というものの重要性をもっともっと強く認識した方がいいんじゃないかという気がします。

 

 

ニホンという滅びゆく国に生まれた若い君たちへ OUTBREAK/秋嶋亮

 

 

 図書館の新着図書リストでタイトルが気になったので手に取ってみました。

 

 作者の秋嶋亮さんは社会学者ということなのですが、どちらかというと思想家的な位置づけの本のように思えます。

 

 若い世代は日本が世界に冠たる国家だったということを最早実感することもムズカしいんじゃないかと思いますが、それでも親のノホホンとした感じからすると、なかなか危機感も感じにくいでしょうし、このまま逃げ切る親世代とは違って、呑気に構えていたらゆでガエルとなってしまいかねないということもあって、こういう危機感をあらわにしたメッセージを発しているのかも知れません。

 

 安倍政権の毀誉褒貶に対してどういう評価をしたらいいのかわからないという若い世代の人は少なくないんじゃないかと思いますが、ワタクシ自身もこの本でおっしゃられていることに同感なのですが、結局、政権や官僚だけでなくメディアや大企業など国家を構成する大半の勢力が自民党アメリカに言われるままになって、草刈り場にされてしまったのが昨今の低成長の体たらくであって、今後コロナ禍から回復して再びグローバル化の波が再開されれば、見る影もなく飲み込まれて、インバウンドでしか日銭が落ちてこないような国になってしまうような気すらします。

 

 久しぶりにこういう絶望感だけの本を読んだ気がしますが、こういう本に対してターゲットたる17歳周辺の年代はどう感じるんでしょうか…

上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!/上野千鶴子、田房永子

 

 

 先日、『最後の講義完全版 これからの時代を生きるあなたへ』での理路整然としたフェミニズム論にいたく感銘を受けたので、改めてこういう本を手に取ってみたのですが、対談相手の田房永子フェミニズムにまつわるマンガを書かれていることもあって一家言ある方なので、割と田房さんのご経験を踏まえてのフェミニズム論という感じで、体系的にフェミニズムについて紹介しようというモノではありません。

 

 ちょうど上野さんと田房さんが親子くらいの年齢差ということもあり、田房さんがご自身と母親との葛藤について語られていて、往々にして日本のムスメを持つ母親というのは、自身の経験への悔恨をムスメに晴らしてもらいたいという望みを持っていて、時代が変わっているにも関わらず、それを顧慮しないアドバイスをムスメに押しつけて、またそのことがムスメにとっての悔恨を生み出すという負のスパイラルを生み出しているといいます。

 

 逆に旧来的な価値観で育てられたムスコは、悔恨を押し付けられたムスメとは真逆の価値観で育っており、そういう二人が結婚した場合にどういう葛藤が起きるのかということで、オトコの方は都合よくこの本では「A面」と言われていますが、『最後の講義完全版 これからの時代を生きるあなたへ』でいう経済活動の内数に含まれた世界を中心にしていればいいのに対し、奥さまは「B面」たる経済活動の外側とされる私的生活だけでなく、社会的生活まで担うことになってずっと「A面」と「B面」を行き来しなくてはいけなくなった生活が、前の世代の思い描いたキャリアなのか!?ということになってしまいます。

 

 そんな中でお二方はダンナさまを「B面」に引きずり込まなければ、ということなのですが、なかなかその軋轢に堪え切れる夫妻というのも稀なのかな、という気もします。

 

 ワタクシ自身、結婚当時かなり旧来的な考えの下に、ヨメも出産を機に退職をして子育てに専念したことに悔恨を抱いているようで、そのことには大いに反省していて、可能な限り、家事や子育てに参画すべきだったと思っていて、今後はそうなって欲しいと今更ながら思うのですが、いざその頃にそういう風に説き伏せられていたら、どういう態度を取っていたのか…30年近く自分を形成してきた価値観を根底から否定されてどういう態度になるのか…ということもあって、こういう価値観ってきっと世代を超えて矯正を受け継がないといけないのかも知れません。

あっ!命の授業/ゴルゴ松本

 

 

 先日、「命」の文字芸で知られるコメディアンのゴルゴ松本さんが少年院などに慰問の講演活動をされているということを紹介した自伝的な著書である『「命」の相談室』を紹介しましたが、この本はその授業の”中身”です。

 

 『「命」の相談室』でも触れられていたように、ゴルゴさんは売れなかった頃、色々と本を読み漁っておられたようで、その中で日本語の奥深さに魅せられ、それが「命」の芸や講演活動につながっているようですが、この本でゴルゴさんが語られるコトバの由来などは日本語の繊細さを改めて思い起こさせてくれます。

 

 冒頭の章で「始まりは愛」ということで50音を取り上げて、「あい」うえお、と始まるということで、日本語の基本は「愛」からはじまり、最後は「恩(をん)」で終わるという小噺のような〆がクスッと笑わせながら日本語の奥深さを紹介しているところに唸らされますが、さらに英語では"I"の前は"H"という下ネタギャグをカマすのも湖面ディアンとしての面目躍如といった感じでしょうか…

 

 また、かつての金八先生の「人」の文字を語られたように、ゴルゴさんの代名詞である「命」の成立ちを語られますが、「人」が「一」「叩」するということで、心臓の鼓動を示しているということで、見事に生命感を表現していることを紹介されていて、さらにその「命」を「運」ぶことが「運命」だということです。

 

 どの言語もその国の人々の精神を体現していて、ことさら自分の国の言語を称賛するのは過度なナショナリズムにつながるんじゃないかという危惧はありますが、やはり日本語には日本独特の細やかな機微が感じられて、ありがたいモノだなあ、というのは感じますし、少年院の慰問でもこういう講義が刺さるのも、自分の根っこみたいなものを思い出させてくれるからなのかな!?と思います。