スポーツからみる東アジア史/高嶋航

 

 

 東洋史の研究を専門にされていて、スポーツと政治の関連についての著書も多い方が、スポーツの国際大会の変遷から東アジア史を語られた本です。

 

 かなり意外な気がしたのですが、アジアにおいてスポーツの国際大会が本格的に開かれたのは戦後で、1960年代まではオリンピックを除き、アジア諸国が参加する国際大会はなかったということです。

 

 ただ、日本の日中戦争、太平洋戦争での影響が大きいところもあるのですが、韓国vs北朝鮮、中国vs台湾など、実質的な外交関係がなくスポーツの交流どころではないというところも多く、結局そういう軋轢を払拭するのに50年余りモノ時間を要したということのようです。

 

 敗戦を受けてなお、サンフランシスコ講和条約で国際舞台に復帰した日本は、それでもアジアにおいてそれなりのプレゼンスがあったワケですが、日中戦争、太平洋戦争での所業によって、なかなか各国の信頼を得ることが難しかったようで、かつ、日本の目はどちらかというとアジアよりも西欧諸国に向いていたこともあって、スポーツ界においてはなかなか存在感を示すことができなかったようです。

 

 特に東アジアではスポーツの国際大会において、台湾が出れば中国が出ない、韓国が出れば北朝鮮が出ないといった分断国家間の綱引きもあって、どうしてもスポーツと政治の間に明確な線引きができずに、国際大会への参加が政治状況に大きな影響を受けるという事態が長らく続いたというのが実情のようです。

 

 長らく西欧諸国がハバを利かせるスポーツ界においては、共産圏である中国よりも台湾の参加が優先されてきたワケですが、スポーツ界において、個別の競技団体などでは大きな存在感を持つ中国が除外されたままの状態へのギモンが大きくなり、やがて台湾を排除するカタチで中国の国際的なスポーツ界への復帰が果たされることになります。

 

 徐々に政治的な配慮とスポーツの国際大会の参加がわけて考えられるようになり、1990年に開催された北京のアジア大会によって、ようやく中国と台湾、韓国と北朝鮮の同時参加が実現され、一旦、カタチとしては政治とスポーツの分離が図られたということになったようです。

 

 ただ、未だパリ五輪において、ウクライナに侵攻したロシアを排除しようとする動きがあるように、政治とスポーツは密接な関係にありますが、侵攻されたウクライナがロシア人と協議を共にするということに違和感を感じするのは理解しながらも、もう一段高いところで思考をするように、人類全体としても進化していきたい気もします。