世界史のなかの近代日本/小風秀雅

 

 

 昨今は日本史を世界史の大きな流れの中でとらえるように、学校教育でも方向転換が顕著なようですが、この本はペリー来航から日露戦争に至るまでの過程を「世界史のなかの」というのはちょっと言い過ぎな感じもしますが、諸外国との関りを中心に紹介されてモノです。

 

 この本の元となっているのは、著者の小風さんが教鞭をとられている大学で、コロナ禍におけるリモート授業のためにわかりやすいモノを提供しようということで作られた教材なんだそうで、それだけにかなりダイナミックに幕末から明治維新を捉えることができるようになっています。

 

 割と歴史教育の中ではイベントベースでしか教えない琉球処分や日朝修好条規の締結に至る過程ですが、日本が曲りなりにそういう条約を成立させた背景には、当時欧米諸国から圧迫を受けていた中国を中心としたアジアの国際秩序であった華夷秩序崩壊の途上で日本が勃興したという側面があるようです。

 

 琉球薩摩藩、清双方と冊封関係にあったワケですが、廃藩置県を期に正式に日本に編入しようとした際に、琉球自体と清からの反発があって、かなりキワドい綱渡りを経て編入にこぎつけつつも、その際の紛糾が日清戦争の遠因の一つともなり、結局は日清戦争の勝利でウヤムヤのうちに日本の領土ということが確定したということで、現在の中国が沖縄の領有を主張する向きには、多少のムリはあるにせよ、全く根拠がないワケではないようです。

 

 熱狂的な冊封体制の支持者だった朝鮮との外交は特に華夷秩序の弱体化がなければ成立しなかったとも言えそうで、結局現在の日韓の軋轢は、下に見ていたはずの日本に支配されるという屈辱が根っこにあるんだろうなということがうかがえます。

 

 また、大日本帝国憲法の制定を急いだ背景には、領事裁判権の解消と関税自主権の回復という条約改正が、明治政府にとっての最重要の外交課題に取り組む前提だという側面が色濃くあったということで、実際に憲法に基づいた統治を遂行していることを以って、カタチだけの憲法制定だと冷ややかな目で見る向きもあった欧米諸国が日本の統治能力を認めざるを得ないということになり、特に領事裁判権を取り下げることに効果があったそうです。

 

 まあ、タイトルの割に国内的な事情を取り上げることが多いですが、それもあくまでも欧米諸国と対等に渡り合うことができるようにするための統治体制の整備という側面が強かったとようで、数十年という短期間で実際の運用レベルにまでこぎつけたことは驚異だったということがよく理解できる内容となっています。