「東京電力」研究/斎藤貴男

 

 

 社会派ジャーナリストの斎藤貴男さんが3.11東日本大震災の際の福島第一原発の事故を受けて、東電の「本質」に迫られた本です。

 

 あの震災から10年以上の時が流れ、立ち入り禁止区域も随分と少なくはなりましたが、今一つ責任問題や賠償についての解決もスッキリとしない状況のままのように見えますが、事故に至った組織的な要因も含めて、歴代の経営陣の横顔などを追いつつ、東電の性質みたいなモノを追われている感じです。

 

 元々、電力の供給という、戦前から、特に高度経済成長期には国の成長の根幹を担うような性格があったということで、かなり以前から政権と不即不離の関係にあったようで、歴代の名経営者と言われる木川田一隆氏が経済同友会代表幹事、平岩外四氏が件団連の代表を務めるなど経済界でも重要な役割を占めてきたワケですが、そういう国策企業のトップでありながら、財界きっての読書家と言われる平岩氏でも「国士」というよりも、多重請負による責任の回避などの割と寝技系のダークな側面が浮き彫りにされています。

 

 その後の小粒な後継者、特に事故発生時の勝俣会長の責任逃れは目に余るモノがあり、国にしてもそれだけ東電と癒着していながら、こういうことがおこると平然とトカゲのシッポ切りをするということで、お互いロクでもない状況だったワケで、何か東電っておとぎ話のコウモリみたいなモノだな、ということがアタマをかすめます。

 

 関東エリアの電力供給を担うということで、つぶれてもらうワケにはいかないわけですが、3.11以降も大した組織改革を迫るワケでもない国も含めて、やはりこの国はどこか自浄能力が決定的に欠けてしまっているようです…