小説家という職業/森博嗣

 

 

 人気小説家の森博嗣さんがご自身の経験を踏まえて、小説家として活動し続けるための秘訣を語られた本です。

 

 ワタクシ自身、小説家になろうとも、なれるとも1ミリも考えたことがないので、単純に森さんの自己啓発的な本だからということで手に取ってみたのですが、世の中には小説家が語る小説家のなり方みたいな本が多々あるようで、そういえば村上春樹さんの『職業としての小説家』もそういう側面での記述もあったような…

 

 ただ、森さん自身そういうノウハウ本的なモノで小説家になるのに役立つとは全く思われていないようで、むしろそういう既存の小説のマネをしないことが小説家でありつづけることのひとつの秘訣だとすら思われているように伺えます。

 

 森さん自身は、ほとんど小説を読まなかったということで、多くの小説家を志す人たちが、あまりに他人の本を読み過ぎていることが、小説家になれない原因だとすらおっしゃっておられて、無意識のうちに読んだ小説を模倣してしまうことが、小説家であることの妨げになりかねないことを指摘されています。

 

 また、多くの小説家志望者が、自身の小説を出版することがゴールだと思ってしまっていることが、職業として小説家であり続けることの妨げになっていることを指摘しておられて、ある程度の冊数を出版できるようになるまでのマイルストーンを展望として持っておかなけらばならないことを強調されています。

 

 森さんは小説家であることにビジネス的な観点が必要だとおっしゃられているようで、多くの小説家志望者ひいては、出版に携わる人たちの多くにそういう観点が決定的に書けているところに出版業界の退潮があるのではないかと指摘しているようにすら思えてきます。

ことばと思考/今井むつみ

 

 

 『英語独習法』が静かなヒットを続けている今井さんの著書ですが、英語関連の著作が話題にはなっているものの、どちらかというと今井さんのメインの研究フィールドは語学というよりも言語学のようなので、この本はよりメインの研究フィールドに近い部分での著作のようです。

 

 この本のテーマは、人間の思考に言語がどのような役割や影響を及ぼすかということのようで、思考というとフツーは言語ありきのように思ってしまいますが、必ずしもそうではないようです。

 

 ただ、言語自体は人間の思考に大きな影響を及ぼしているのは間違いないようで、その相互作用について紹介されています。

 

 例えば人間が目の前のことを認識するのに、言語を媒介していることが多いということで、様々な言語における色の概念を紹介されていて、それぞれの言語がもつ色の定義に、人々の認識が引きずられている側面もあるようです。

 

 ただ、ある言語ではわずか2種類しか色を定義するコトバがないにも関わらず、コトバとしては無いはずの色の区別をちゃんとしているというフィールドスタディの結果もあるようで、コトバが無い部分での認識はかなり柔軟である側面もあるようです。

 

 さらには、言語間のコトバの定義内容の差異に基づく認識の差ということにも言及されていて、語学を習得するにあたって、自国語と学ぼうとする言語の意味合いの差をニュアンスレベルで理解しておくことの重要性を指摘されておられて、単純な翻訳が言語の認識のカベとなり得ることを示唆されています。

 

 そういう言語と思考の関係をなんとなくアタマに置いておくことって、意外と語学の修得に役に立つんじゃないかという気にさせられました。

 

日本と世界を知るためのファクト図鑑/佐藤優監修

 

  “知の怪人”佐藤優さんが監修をされた、多くの日本人にありがちな思い込みを、ファクトを以って正そうという主旨の”図鑑”です。

 

 「日本」「隣国」「世界」という3つのカテゴリーで合わせて105もの、ありがちな思い込みを統計などの数字を駆使して正そうということなのですが、特に「日本」のカテゴリーで、例えば待機児童に関するテーマで「出生率は下がっているので受け入れ不足になるほうがむしろ稀である」といったような、こんな思い込みをすることは無いでしょう!?と思うような、ファクトの提示ありきのムリヤリな「思い込み」設定が散見されるので、これホントに佐藤さんが監修をされてるの!?と、かなり多くのクエスチョンマークが飛びまくったのですが、さすがに佐藤さんの専門領域の「隣国」や「世界」についての「思い込み」については、うならされるテーマ設定とファクトが多くなります。

 

 特に多くの日本人…とりわけアジアでの日本の優位性を信じたい人たちにとって、韓国や中国について取り上げられている「思い込み」をファクトで否定されるのは不本意に思えることが多いのかも知れませんが、”失われた20年”を経て、GDP規模で抜かれた中国はモチロン、一人当たりGDPで肉薄されている韓国と比較しても、最早明確な優位性を示せるデータは見られないということで、そういう力関係の変化に応じた関係性を求められていることを認識する必要がありそうです。

 

 また、アフリカを中心とした途上国の生活環境の底上げで、かなり平均化が進んでいることが指摘されており、地球規模の発展を志す意味でも、これらの国々のさらなる発展が必須であり、日本も含めた先進諸国のサポートが、まわりまわって自分たちのためにもメリットがあるようです。

 

 さらには、どうしても欧米陣営に属する日本から見ると、ネガティブな視点で捉えがちなイスラム諸国についても、ある程度プレーンな視点で見て、必要な部分では手を携えることの重要性を指摘されていて、ファクトに基づいた判断の必要性を強調されています。

 

 まあ、一部ムチャなテーマ設定もありますが、概ね目からウロコなテーマが多いので、通読しようとするとちょっとホネですが、ペラペラ興味のあるテーマから見て見ると面白い本です。

産まないことは「逃げ」ですか?/吉田潮

 

 

 個人的には夕方のフジテレビのニュースが『みんなのニュース』だった頃、レギュラーコメンテーターのやくみつるさんがお休みの時に、この本の著者である吉田潮さんが出演されるのが楽しみで、その毒がありながら、どこか対象への愛を感じさせるコメントが印象的でした。

 

 その吉田さんが、ご自身の性愛や妊活の経験を通して、女性が無意識に背負わされているモノや多様性を追い求めることの困難を語られます。

 

 テレビで見た印象からすると、失礼ながら勝手に吉田さんは独身だと思っていたのですが、それはワタクシだけでなく、吉田さんの周囲の人も吉田さんが結婚された時に驚かれたということなので、見た目のイメージのサバサバキャラはそれほど実態とかけ離れたモノではなさそうで、生い立ちからして、子供を持つようにプレッシャーを受けるようなご家族でも無いようで、お姉さまは最初から子供を持たないと決められていたとのことで、ご自身も元々そのつもりはなく、あくまでもセックスは快楽のためのモノだったということです。

 

 ただ、2回目の結婚の際に「子供欲しい病」に罹ったとおっしゃっておられ、不妊治療も経た上で、結局子供を持つことを諦められたようなのですが、「子供欲しい病」罹患の経験について、ご自身では意識していなかったようですが、有形無形に「女性は子供を産むものだ」という“世間の常識”に捉われてていたのではないかと思わされます。

 

 モチロン子供を産んでいなくてもシアワセな人生を送られている人もいらっしゃるはずで、そういう意味で特に歳を取られてから周囲の人に「寂しいでしょう!?」と言われガチなことについて、”余計なお世話だよ!”ということだということなんでしょうけど、あくまでも吉田さん自身妊活を経たからこそ、特定の考え方が「当たり前」だとすることの危険性というか、理不尽さについて語られています。

 

 子供を持つにせよ、持たないにせよ、あくまでも自身とパートナーとの合意だけがベースになっていることが、二人にとっても、生まれてくる子供たちにとっても最も幸せにつながりやすいはずで、そういう選択に対するプレッシャーができるだけ無いようにすることが、社会全体のシアワセの総量を増やすことになるのかも知れません。

 

私は負けない/村木厚子、江川紹子

 

 

 元厚生事務次官である村木厚子さんが「郵便不正事件」で”無実の罪”に陥れられる危機から辛うじて逃れた経緯について、オウム真理教の一連の事件の取材で名を馳せた江川紹子さんのインタビューを元に紹介した本です。

 

 以前紹介した村木さんの著書である『公務員という仕事』でも事件の経緯について触れられていましたが、この本は主に検察が起訴~逮捕に至った経緯や取り調べにおける問題点などを、村木さんの旦那様や同時に起訴されて村木さんをハメたカタチになった元部下などへのインタビューも交えて紹介されています。

 

 この事件では、その時点での事務次官の有力候補を上げれるのではないかという検察庁の功名心もあって、かなりムリな起訴を行ったこともあって、証拠の改竄にまで手を染めてしまったことで破綻したワケですが、改竄が見つかったのもかなり幸運な部分もあったようで、村木さんが無実の罪で収監されていた可能性もかなり高かったようです。

 

 ”知の怪人”佐藤優さんが護身の拘留と取調を紹介した『国家の罠』でも紹介されていたように、検察は起訴した事件について被疑者に尋問する際には、必ずしも真実の追求を目的としているワケではなく検察なりに作り上げたストーリーに従って、それに合致する証言を切り取って、当てはめていくというアプローチで調書を作成するということで、この事件でもその「ストーリー」に合致しない証言についてはほとんど無視されてしまうということで、かなり冤罪を生む蓋然性の高い手法だといえそうです。

 

 奇しくも村木さんの弁護を担当されたのが、元日産社長のゴーン氏の弁護を担当したことで知られる弘中弁護士だということで、その後村木さん自身も含めて検察改革のための審議会があったようですが、おそらくゴーン氏の取り調べにも村木さんの時と同様のアプローチが取られたことが推察され、ゴーン氏逃亡事件の時にはけしからんことだと感じましたが、この本を読むと、ある程度仕方のなかったことなのかなと思えてしまい、ゴーン氏自身が”冤罪”だとは思いにくいですが、”冤罪”の温床になってしまうんだろうなあ、とは感じます。

 

 確かにこういうアプローチが日本の治安の高さを守ってきたという側面はあるのかも知れませんが、冤罪を必要悪とするような現在のスタイルは、おおよそ民主国家における検察の在り方とは思えないというのが正直なところです。

「定年後」の”お金の不安”をなくす/大江英樹

 

 

 以前このブログでも『定年男子定年女子』『老後不安がなくなる定年男子の流儀』を紹介した、老後のおカネに関する内容の講演などをされている方の著書です。

 

 ワタクシもそういうことが気になり始めるお年頃ということで、この手の本をかなり読んでこのブログでも紹介してきましたが、概ね、リタイア後の収入を知る、その収入に見合うように支出を見なおす、それでも不足する部分については軽めに働いて補う、ということで、大体共通しているので、ボチボチこの手の本も打ち止めかなぁ、とは思っていながら、やはり不安な部分は払拭し切れないのでついつい手に取ってしまうワケですが、ちょっとこの本は毛色が違います。

 

 上記3点の論点については違いが無いのですが、そもそもそんなに不安を覚える必要があるのか!?というギモンを呈されていて、そういう”不安”の素となっているのは、この手の本が、却って”不安”を煽っている側面があるんじゃないかとおっしゃられています。

 

 現に、大江さんが講演などで接した方で、既にリタイア後の人々からはそれほどおカネに関する不安を聞くことはないそうで、リタイア後は会社勤めの時期と比べると、外に出る頻度が減るということもあって、呑みに行ったり外食をしたりという頻度がかなり減ることもあって、時間ができたから頻繁に旅行に行くなど、余程派手なことをしない限りは、ある程度自然に支出が減っていくことが多いからだということもおっしゃっています。

 

 しかも、年齢に合わせて不要になった保険の整理をするなど、意識的に固定的な支出を削減することなども併せれば、年金だけでもそれほど不足することはないのではないかとおっしゃいます。

 

 ただこの本の前提として、リタイア時点で子どもの子供の教育に関する支出と住宅ローンの返済が概ね終了しているということを挙げておられて、この2点を満たさない人はある程度、そういう部分の考慮が必要だということです。

 

 最終章で、リタイア後は「お金持ち」であることよりも「幸せ持ち」になるようフォーカスを変えることを勧められているのが印象的で、「お金」にフォーカスするよりも「幸せ」にフォーカスすることでむしろ、そういう不安が減るんじゃないかというご指摘は、斬新に感じるのですがナットクできるところの多いモノでした。

働かないアリに意義がある/長谷川英祐

 

 

 コチラの本、”知の怪人”佐藤優さんを始めとして、多くの日本を代表する知性が推薦図書として挙げられているということで手に取って見ました。

 

 著者の長谷川さんは進化生物学という分野を専門とされているのですが、哺乳類だけではなく、アリやハチなどの昆虫の生態というのが、長きに渡りその種を維持していくために最適化して行ったという側面もあり、人間の生存ひいては、組織の生存といったところにも役立つ教訓を得られるのではないかということを示唆されています。

 

 タイトルにある「働かないアリ」についてのことですが、アリというと「アリとキリギリス」ではないですが、勤勉なイメージがありますが、いわゆる「働きアリ」の中でも実際に定常的に働いているアリはごく一部だということで、大半は「働かないアリ」なんだということです。

 

 なぜ、そういうことになっているかというと、何らかの突発的な事象が発生した時のためだということで、普段ぐうたらしているアリもそういう時にはちゃんと働くということで、そういう例外的な事象への対応ができることが種の保存に大きな意味があるということです。

 

 昨今、グローバリズムの広がりもあって、効率が過度に強調される傾向が強い日本企業ですが、そういう姿勢が実は会社の存亡の危機を招くことも想定されるということを指摘されています。

 

 どうやらこの本自体、民主党政権時の”仕分け”が話題になった時期に執筆されたようで、短視眼的に言うとこの本の対象となっているような研究は、効率から言うと真っ先に淘汰されてしまうようなものですが、人類の種の保存という意味では重要な役割を果たす可能性も高いとあとがきで触れられており、「効率」って何なんだろう、とちょっと考えさせられてしまいました…