闘うための哲学書/小川仁志×萱野稔人

 

 

 社会学と並んでワタクシの中でいくら関連する本を読んでもその実像がツカめずにいるのが哲学で、結構基本的な本や、哲学に親しみの少ない人に気を遣って書かれた本を読んでみましたが、なかなか自分の中でこういうモノなんだ、ということが腑に落ちない状況です。

 

 そんな中でも哲学に留まらない様々な著書を書かれている、本職は哲学者だという小川さんの『もてるための哲学』を読んでみましたが、こちらは変化球でしたので、本質的に哲学がこういうモノだというナットクには至らないまでも、こういうのも「哲学」なんだ、というところに多少勇気をいただいた気はしました。

 

 その小川さんが、やはり哲学に留まらない活動をされており、日曜朝のテレビ番組「シューイチ」にもコメンテーターとして登場される萱野稔人さんの共著で、哲学の名著と言われる古典を紹介されている本ということで手に取ってみました。

 

 ただ、手に取った瞬間、アキレス腱である哲学の本なのに400ページ近くもある大著ということで、一瞬怯んでしまいましたが、結論から言うと個人的には哲学のジャンルの本では一番楽しんで読めましたし、ほぼ一日半で読了してしまう程スラスラ読め、なにかちょっと哲学というモノの姿が少し垣間見えた気がしました。

 

 「哲学の父」と言われるソクラテスには著書が無かったということでプラトンからこの本で紹介されている中で唯一存命のウォルツァーまで22冊の本が紹介されています。

 

 冒頭のプラトンの著書の紹介の前に、この頃の哲学というのは、酒を飲みながら日々の憂さを語るということで、新橋で飲んでいるおとーさんがたも実は”哲学”をしているということを指摘されていますが、個人的な悩みを語ることもリッパに哲学であるようです。

 

 ただ、それだけでは哲学者としてのメシのタネにはならないでしょ!?ということで、歴史的に見て「哲学」がどういう役割を果たしていたのか、ということなんですが、元々現存するすべての学問は哲学から別れ出たモノだと言われるだけあって、人間が生きていく上で考えるべきあらゆることが「哲学」の対象となるワケではありますが、

そんな中で人間の社会とのかかわり方を考察するというのが重要や役割であるらしいことがこの本を読んでいて、なんとなく見えてきます。

 

 特に個人的には『リヴァイアサン』のホッブス、『統治二論』のジョン・ロック、『社会契約論』のジャン=ジャック・ルソーなど近代国家と市民の関係性を説いた著書も哲学書の一環だということで、こういう社会との関わり方を明確にするという役割が哲学にあったんだなぁ、ということで目からウロコということになった次第です。

 

 さらには、新たに出現する技術との関わりを説いたハイデッガーのことにも触れられていて、今でいうとAIと人間との関わり方の方向性を探るのも哲学の役割と言えそうで、そういう意味で、現代においては顧みられることの少ない哲学が、実はモノ凄く大きな役割と可能性を担っているんじゃないかということを初めて知った次第で、そういうのは哲学の中でも一部分なのかも知れませんが、ようやく自分の中で哲学がリアルな姿で浮かび上がったような気がして、非常に有意義な一冊でした。