京都まみれ/井上章一

 

 

 2017年に出版された『京都ぎらい』が大いに話題をまき、いちやく名を馳せた井上さんですが、同年に出版された『京都ぎらい 官能篇』は『京都ぎらい』を冠しているものの、井上さんが専門分野のひとつとする性愛に関する分野の京都における事情にフォーカスしたもので、正統的な続編とは言い難い作品で、この本が本編出版から5年を経ての正統的な続編と言う位置付けのようです。

 

 『京都ぎらい』の出版後、井上さんのもとには、多分東京のことがキライに違いないということで、『東京ぎらい』といった趣向の本を書かないかという打診が数多く寄せられたということなのですが、井上さんご自身としては東京に対する敵意はなく、むしろ東京をムリに軽蔑しようとする洛中の人々への嫌悪感が勝るということで、再び洛中の人々への敵愾心をむき出しにして、退路を断って再び『京都ぎらい』とほぼほぼ同一のテーマにさらに追及されたということのようです。

 

 この本では東京に去った都についての洛中の人々の屈折した心模様を紹介されているのですが、未だに東京へ行くことを「東下り」と言ったり、新幹線の東京行きが「上り」であることに難癖をつけたがったりするようですが、洛外育ちで洛中の人々の中華思想を苦々しく思っておられる井上さんにとってはかなり滑稽に映るようで、いい加減首都は東京に移ってしまっていることを認めたらどうなんだとおっしゃいます。

 

 京都が現在のような美しい街並みを保っているのは、東京が首都機能を担ってくれたおかげで、高層ビルが乱立するような状況を回避できたが故で、そういう意味でも洛中の人々は東京に感謝すべきなんじゃないかとおっしゃいますが、このご意見についてはワタクシも激しく同意します。

 

  ただ、上皇陛下が天皇を退位された際には、洛中の旦那衆が京都移住を切望されたというエピソードは悲しいまでのイジらしさも感じさせ、天皇家に去られてしまった寂しさというモノが未だ言えていないが故のイケズなのかな、とも感じさせられて、なんとなく京都人の屈折した姿勢というモノが理解できました。