主権者のいない国/白井聡

 

 

 以前、この本の著者である白井さんと『日本辺境論』など辛口の論評でしられる内田樹さんの対談本である『日本戦後史論』を紹介したのですが、この白井さんという方は『永続敗戦論 戦後日本の核心 (講談社+α文庫)』で知られるようになったらしく、その白井さんの「永続敗戦論」というのが、日本の政府がGHQの加担もあって、無謀な戦争への総括というか反省をロクロクしないまま、朝鮮戦争などのラッキーもあって間違って成功してしまったモンで、ボタンのかけ違いに気づかないまま「対米追従」に安住してしまったツケが溜まりたまったのが、昨今の日本の閉塞感であり、そういう矛盾を象徴するのが第二次安倍政権の長期化だということです。

 

 凶弾に斃れた安倍氏国葬でも賛否両論が沸騰し、国民の分断が露わになりましたが、白井さんが安倍政権を評して、

 

 「実に、安倍政権が君臨してきた平成末期は、戦後レジームの全般的な危機が表面化

  した時代となった。低次元のスキャンダルにまみれ、議会政治の最低限のルール

  をも守ろうとしない政権と、それに立ち向かうこともできないメディア。

  そしてこの状況を終わらせようという意志を持たない、無知、無気力、無関心、

  奴隷根性の泥沼に落ち込んだ群衆。

  「末法の世」というのはこういうものかと実感する。」

 

と評されているのが、正にワタクシ自身が安倍政権以降の閉塞状況に感じていたモノを過不足なく表現されているような気がして、いいようのない感慨を覚えます。

 

 「低次元のスキャンダル」というのも、これまでの政界の巨悪たちは、もう少し国民から見えないような工夫をしたはずなのですが、反知性の象徴とも言える安倍氏はそういうフリすらもせず、メディアも国民もそれを追い詰めることができない(しようとしない!?)という状況に絶望を感じたモノです。

 

 昨今、ネットなどを中心として、そういう状況への反感は広がって入るモノの結局は選挙になると自民党が勝ってしまうという状況で、それで反省すらもしなくなるという繰り返しで、まだまだ日本の体たらくは底を打っていないんでしょうか…