特捜検察の正体/弘中惇一郎

 

 

 「無罪請負人」との異名を持ち、カルロス・ゴーン氏や「郵政不正事件」の村木厚子氏の弁護をされた弘中惇一郎氏が不俱戴天の仇とも言える特捜検察について語られた本です。

 

 村木さんがご自身の訴訟で勝訴を勝ち取るまでの過程を描いた『私は負けない』や”知の怪人”佐藤優さんがご自身の訴追について記録した『国家の罠』などで特捜検察の捜査について詳しく紹介されていますが、特捜部と数多くの激闘を演じられてきた弘中さんがこの本で紹介されていることは、まあ村木さんの弁護を担当されているので当たり前と言えば当たり前なのですが、ほぼほぼその「やり口」は一致していて、特捜部が有罪を勝ち取るために描いたストーリーに従って調書を取り、その内容に反することは一切長所として残さないという手法を取っていて、基本的に特捜部に起訴されたら有罪率99.9%というどこかの強権国家も顔負けの現状があるということで、その強引な手法が時に大きな問題となります。

 

 特に村木さんの訴訟では有罪のためのストーリーを成り立たせるために資料の改ざんまでしたということで、村木さんの裁判では弘中さんがその矛盾を突き、裁判官がそれを採用したから無罪を勝ち得たモノの、時には裁判官に対して圧力をかけることもあるようで、検察に忖度するような裁判官だったら村木さんの無罪はなかったかもしれません。

 

 また、積極的にマスコミに対して捜査情報をリークすることもあるようで、マスコミも特捜の意図したような被疑者を貶めるような報道をすることで、世論の印象操作をしているという側面もあるようです。

 

 そういう事実を歪曲するような側面も多々あるようですが、そういう「暴走」が放置されていることについて、特捜の捜査を制御する仕組みがないことを問題として指摘されていて、本来警察が起訴して被疑者と裁判をするということになるということなのですが、特捜という裁判の当事者が起訴の主体となることで、行ってみれば特捜はプレーヤーとアンパイアを兼ねているとも表現されていて、そういう制御の利かない制度の廃止すら提言されています。

 

 特捜の当事者は社会正義の一端を担うというのかもしれませんが、スタンドプレーばかりが目立つようであれば、自身の存立基盤を危うくしていることに気付くべきなんでしょうねぇ…