橘玲さんの近刊ですが、『言ってはいけない』以降『上級国民/下級国民』など、「格差」についての著作が続いていて、この本もそういう流れの一冊と言えそうです。
この本を執筆されることになったキッカケがあとがきで紹介されていて、『上級国民/下級国民』を読んだ中学生から「上級国民」と「下級国民」の違いは何かという質問を受けて、橘さんは
「上級国民」:知識社会・評判社会において、「自分らしく生きる」という特権を
享受できるひとたち
「下級国民」:「自分らしく生きるべきだ」という社会からの強い圧力を受け
ながら、そうできないひとたち
と回答されたそうなのですが、その回答からこの本の着想を得られたとのことです。
「自分らしく生きる」≒ 幸福と考える人が昨今多いと思うのですが、そもそも「上級国民」と「下級国民」では「自分らしく生きる」ことに取組むにあたって、あまりにも備えているモノが違い過ぎて、そういうレースに参加を強いられる「下級国民」にとっては「無理ゲー」となってしまうということです。
以前は「自分らしく生きる」ことに取組むにあたって、大多数の人にとって資本主義が最適なシステムであると認識されていたのですが、そこにグローバリゼーションという要素が加わって、全世界的な競争環境が形成されてしまうと、そこからドロップアウトしてしまった人にとっては、「自分らしく生きる」レースに参加し続けることは相当過酷な状況となってしまっているようです。
これが欧米諸国だったら、そういうスタート時点での不利を補うための様々な施策がアファーマティブアクションということで歓迎されるワケですが、別れた妻子に養育費を支払わない元ダンナよりも、養育費がもらえなくて公的支援を受けようとするシングルマザーがディスられるような境遇にある日本では、数段過酷な環境となってしまうようです。
それでもそういう状況を是正するための先進的な施策を紹介されてはいるものの、そもそも貧困を「自己責任」の一言で片づけてしまいたがる冷たい国民性をどうにかすることの方が重要な気もして、ホントにムスメたちがそういう境遇になってしまったらと思うと、かなりの戦慄を覚えてしまいます…